船場・城西史跡めぐり
姫路の旧街道を歩く(東本願寺姫路別院 船場本徳寺)
船場本徳寺 船場御坊
①東本願寺姫路別院 船場本徳寺 船場御坊
浄土真宗(真宗大谷派)の寺院。江戸初期藩主本多忠政の時に創設された。播磨 の同派の中心寺院である。建物は江戸期のもので規模も大きく、境内に勤皇志士の墓や西南の役の供養碑などがる。又、明治天皇の訪姫の行在所が現存し往時の粋をしのばせている。
この絵図は明治17年に出版されたものです。著作兼出版人 池内太七
姫路城・書写円教寺・亀山本徳寺をはじめ姫路には歴史の遺産がたくさんあります、船場城西も先人が残した価値ある風情が今まさに傷んでこようとしております、これらの素晴らしい史跡と共に船場本徳寺も姫路の宝物として甦ってくれるといいですね!
ドイツ人 捕虜の望郷塚
第一次世界大戦で日本の捕虜となったドイツ兵たちが自国を想い自分たちの故郷の姿をセメントでこしらえ、心の支えにしていたとの事です。
現在野ざらしのため風化しそうである。大切な歴史遺産ですね。
西南の役の供養碑
後ろ側にあるお墓は幕末に無念にも断罪を受けた姫路藩の勤皇の志士たちのお墓です、人知れず静かに眠っています。12月25日は勤皇の志士で一番長老,河合宗兵衛と息子の伝十郎の法要が行われています。
☆この場に立って強く感じる現在はとても平和であると!
よくよくこれらの史跡を眺めていますと、当時の惨事が彷彿としてまいります。もし、当時の時代が続いていたならば、依然として戦いが続き修羅の惨劇が繰り返されたのであろう。あの痛ましい太平洋戦争が終わり400万人とも言われる日本人の犠牲者も出たがその後六十数年の平和でなければ行けないはずが、残念ながら今でも世界では戦いが続いています。これらの遺跡を前に悲惨な歴史を二度と起こさないことを願うばかりです。次の世代に平和の証として大切に保存し語り継がれなければならないと感じます。