船場・城西史跡めぐり
姫路の旧街道を歩く(飾磨県庁址)
飾磨県庁址
廃藩置県により姫路藩地においても検討がなされ明治4年(1871年)姫路県が発足した。しかし大きな見地から飾磨県にしようと言う事になり、この地に飾磨県庁舎が建てられ行政の中心地と なった。しかし直後に神戸には開国にふさわしい港が有るので県庁所在地を神戸に移し兵庫県と定めた。飾磨県廃止後、立派な庁舎跡では第1回姫路市議会が開かれたとある。
そののち、姫路赤十字病院となり、平成14年の病院の移転まで地域医療の要として地域のみならず姫路市の医療に大いに貢献されていました。
旧日赤病院の解体にあたり、多くの知識人の方々からもこの土地の重要性と活力再生を願って各方面に働きかけがなされ、又、市議会でも数名の議員質問がなされましたが残念ながら検討にも値しない忘れられた土地のようである。
想い・・・
船場・城西地域住人にとって、この地は唯一の安心とやすらぎと誇りを抱いていた所だけに、1日2,000人もの往来が今はゼロに近く、地域市民に取りましては例えようの無い寂しさを痛感しております。願わくば歴史有るこの場所が姫路市民の財産になり、活力有る町が再生される事を願っております。
左右の桜の樹は、私達の父母や祖父母の代から現在まで、病めるときも健やかな時も、いつもこころを和ませてくれています。
右のさくらの樹の所まで、船場川から真っ直ぐ西に伸びる西国街道がここでつきあたっています。