船場・城西史跡めぐり
姫路の旧街道を歩く(景福寺)
景福寺
【城のまち姫路が誇る名刹。600有余年の歴史を今に】
世界文化遺産・j姫路城の乾に位置する当寺の歴史は古く応安2年(1369)大本山永平寺開山道元禅師より六代目にあたる通幻寂霊禅師によって攝津国に開創されましたが、天正年間に兵火を避けて播磨に移り、その後、姫路藩主池田輝政公の帰依を受けて坂田町に建立されました。
その後幾星霜を経て、寛延元年(1748)藩主松平明矩公(中興開基正眼院殿廓然無聖大居士。景福寺山に墓所がある)が死去し、翌2年嫡子朝矩公が前橋に国替へとなったため、菩提寺の孝顕寺の堂宇を寄進せられ、以来新藩主酒井雅楽頭家代々の菩提寺として人々の崇敬を集めてきました。また明治11年(1862)には、境内の一角に旧制姫路中学校(現在の姫路西高等学校)の全身である六郡立姫路中学校が開校。現在もその地に景福保育園・瑞松学院が建つなど、開山以来600有余年たつ今も信仰と教育の拠りどころとして、広く市民の親しまれています。
KEIFUKUJI TEMPLE から抜粋
緑と静寂に包まれた境内。坐禅堂(左)と本堂
秋晴れの眩いばかりの日差しを浴びた甍の後ろには歴代城主のお墓や多くの侍のお墓が並ぶ山容が浮かぶ。山中には幕末の勤皇の志士の墓もある。
景福時山道
山門には霊験あらたかな仁王像が控えている
酒井家奥方三代の墓石が並ぶ
まちづくりが始まる前、お寺にご挨拶の時の記念写真