船場・城西史跡めぐり

姫路の旧街道を歩く(西国街道)

西国街道

京、大阪より姫路城下を通り、西国、九州方面に通じていた主要街道。
福中門から北上し、龍野町を通っていた。(竜野町の由来は姫路の西に位置する今の竜野市に行く道の為付いた名前だそうだ)。往時は姫路一の繁華な街道筋であった。町家が立ち並び豪商が林立し、姫路初の商店街の面影が偲ばれる。
 
秀吉の命により、この街道に楽市を開かせ香川の商人を呼び寄せ姫路一の賑わいを見せていたと言う。(秀吉による鑑札名盤が姫路城の天守に残されている)
 
想い・・・
今もまさにこの場所に残る豪商址。歴史をつなげて欲しいと言わんばかりのたたずまいで、横たわっている。目をつむれば、往時の人の行き来と心の通った威勢のよい声が聞こえてくるようだ。
 

残念ながら今は、この風情は見られない。どこへ消えたのだろうか。
この絵図は明治17年に出版されたものです。 著作兼出版人 池内太七
 

まるで津波が押し寄せるように、この地域の古い町屋が壊されていく・・・
歴史と出会えるまちづくり船場城西の会では、西国街道に有った、この油問屋、豪商跡を保存の為、積極的な活動を起こし費用の捻出や活用計画など、交渉や対策に全精力を傾け、もう一歩と言うところまでいったのですが残念ながら今は無い!(てん末、記録保存)またしても、この400坪にもわたる数百年続く旧家が姿を消してしまった。
 
幅広く民・官・学で資金集めの良き方策も結果的には失敗に終わり、活動の難しさを
身をもって体験する事となった。
現時点に置ける、何かよい方策は無いものかと・・・嘆かわしくも思うところです。
 
建物は変わり世は移れども、この地の歴史は変わることはなく、この地に生まれ育った者にとっては "やすらぎ"の空間ではないだろうか?
良き地域は良き住民により、つくられ、引き継がれるべきなのでしょうね。
 
とわに、歴史遺産とふるさとを想う心を無くさないで欲しいと願いたい
よきものは いつまでもあり続けて欲しい・・・・・          
次なる世代の宝物として・・・金では買えない宝物として・・・・・